キト市旧市街と郊外の観光ガイド
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世界文化遺産第一号のキト旧市街の主な観光ガイド
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| 大統領官邸(Palacio de Carondelet) |
独立広場の西側に面する大統領官邸は、18世紀に子午線測量のためフランスから派遣された調査団の一員、カロンデレットによって建てられたことから、「カロンデレ宮殿(Palacio de Carondelet)」とも呼ばれています。官邸3階の鉄製手すりは、かつてパリのチュイルリー宮殿に設置されていたもので、同宮殿が破壊された際にフランス政府から譲渡されたものです。その後、1956年にドゥランバジェン公共事業大臣(後の大統領)の主導で第1回目の改築が行われ、さらに1993年6月からは、警備体制と機能性の向上を目的とした第2回目の改築が実施されました。 官邸の回廊中央にある正面玄関の両脇では、旧フランス軍の伝統的な制服に身を包んだ衛兵が交替で警備にあたっており、訪れる人々の目を引きます。 公式行事のない日には、観光客も順番を待てば回廊内に入ることができ、入口の衛兵との記念撮影も可能なため、人気の観光スポットとなっています。独立記念日には、回廊の官邸入口前にある半円形のバルコニーから、大統領が国民に向けて記念演説を行います。 |
| 独立記念広場(Plaza de la Independencia) |
広場は旧市街の中心に位置し、1809年8月10日に行われたイベロアメリカ初の独立宣言の英雄達を称える記念碑が建てられています。エクアドルが独立したのは1830年5月13日ですが、この独立宣言を重視し、8月10日を独立記念日として、大統領就任式や国会開会日にも定められています。広場の周囲に大統領府、官邸、カテドラル、キト市役所などの重要建築が建ち並びます。1993年に常陸宮殿下が訪問した際に記念碑に献花されました。 |
| ラカテドラル(メトロポリタン大聖堂 La Catedral) |
独立広場の南面に隣接しているキトで最初の大聖堂、メトロポリタン大聖堂は1562年から1565年に建てられ、キトの信仰と文化の中心になっています。当初はアドベと木で作られていましたが、後にゴシックムデハル様式と呼ばれる、より強固で重厚な建物になりました。美しいドームと広場につきだす扇形状の階段(カロンデレットアーチ)が有名で、聖堂内にはキト独立の英雄、ホセスークレ将軍の棺が安置されています。内部の大祭壇の後には、天才的彫刻家カスピカラの代表作“ラサバナ・ サンタ”があります。「基礎と壁の一部は16世紀の建築ですが、20世紀までに改装・増築が繰り返され南側にはいくつかの礼拝堂があります。北側は一枚の壁でしきられ、正面扉は独立広場には面していません。正面玄関の隣には20世紀に建てられた巨大な鐘楼が建っています。 |
| サンアグスティン修道院(Convento de San Agustin ) |
独立広場から2ブロックほど離れた場所にあり、ここで1809年8月10日にエクアドルの独立の調印が行われました。調印式が行われた部屋は「Sala Capitular(参事会室)」と呼ばれていて、18世紀バロック様式の見事な祭壇を見ることができます。 この場所は修道士で画家としても知られるミゲルデサンチャゴが聖オーガスティンの生涯を描きながら暮らしていた場所で、併設されているミュージアムには彼の描いた絵が他のキト派の画家の絵とともに飾られています。 |
| ラコンパニーア教会(Iglesia de la Compania de Jesus) |
この教会の建設は寄付を集めながら行われたため、完成には約163年も要しました。バロック様式の柱のある教会正面は、1722年に着工、 1765年に完成しました(43年間)。この教会には南北アメリカ大陸で初めてソロモン様式の柱が建築装飾に利用され、その正面の扉の上と左右にはイエズス会士の保護聖人4名の像が置かれています。 1645年に殉教死したキトの聖人Mariana de Jesusの遺体が、金の棺内に安置されています。 地味な色の入り口からは想像できない絢爛豪華な教会内の祭壇は7トンもの黄金を使ったと言われるほど金色に輝いていることで知られています。 |
| サンフランシスコ修道院(Convento de San Francisco) |
この僧院は、寺院、礼拝堂、隣接する博物館からなる大規模な宗教建築で、1535年1月25日に着工し、1605年に完成した南米最古級の寺院です。敷地面積は約3.5ヘクタール(現在は約2.5ヘクタールとの説もあります)。正面外観(Façade)は17世紀スペイン建築様式で、スペインのエル・エスコリアル宮殿にも携わったフアン・デ・エレラの設計と伝えられています。曲線を描く階段も特徴のひとつで、意匠性と機能性を兼ね備えています。入口付近には、角の精巧な加工が特徴的なインカ時代の石材も残されています。 内部では、古典様式、ビザンチン様式、ムデハル様式、バロック様式など多彩な建築・装飾様式が見事に融合しています。中央祭壇には「キトの聖母」、左礼拝堂にはフェリペ2世が寄贈した「サラゴサの聖母」が安置されており、植民地時代美術の見どころとなっています。 |
| パネシージョの丘 (La loma del Panecillo) |
旧市街のどこからでも頂上に立つ「キトの母」像を見ることができる、キトを代表する展望スポットです。高さ180mのパネシージョの丘に、高さ43mの巨大な「キトの母」像がそびえ立っています。この像は、サンフランシスコ修道院博物館に所蔵される18世紀の彫刻家ベルナルド・デ・レガルダ作「キトの母(Nuestra Señora de Quito)」をもとにした複製です。修道院を訪れることが難しい市民も礼拝できるよう建立が計画され、スペインで約7,000のパーツに分けて製作されました。1955年にキトで組み立てが始まり、1975年に完成しました。 像の内部に入場ができて、足元の展望台まで登ることができます。展望台からは旧市街と新市街の街並みが一望できて、キト屈指の絶景スポットとして知られています。 |
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キト郊外の観光ガイド
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| 赤道記念碑 (La Mitad del Mundo) |
キトから約22キロ北に離れた郊外に建つ記念碑で、”Mitad del Mundo(ミタ・デル・ムンド)”は「世界の真ん中」という意味です。1736年から1744年の8年間にわたり、フランスから派遣されたミッションが測量をおこない、地球は真ん丸ではなく赤道付近のほうが若干ふくらんでいる楕円であるということを発見したところです。赤道標正面には、当時の子午線調査団メンバーの胸像が立ち並んでいます。 中央には30メートルの高さの記念碑が建っていて、エレベーターで展望台に上がることができます。 記念碑の中は民族資料館になっていてエクアドル各地に分散している先住者達の独特な文化・風俗が展示物で紹介されています。 |
| インティニャン赤道博物館(Museo Intiñan en la Mitad del Mundo) |
赤道記念碑から200mほど離れた場所にあるインティニャン博物館の館長の父ウンベルトベラはジャーナリストで教授で、1936年にサンアントニオデピチンチャに建設された赤道記念碑に、世界の真ん中、つまりエクアドルの国を示す赤道線を描く事を提案した人物です。正確な赤道を示すという父の意志を継いでインティニャン博物館は作られました。GPSの測量による現在の正赤道位置が場内では示されていて、正赤道上で体験できる自然科学のアトラクションが用意されていて一緒に楽しむことができます。 この博物館は、文化と民族の振興のための教育センターも兼ねていて、エクアドルアマゾンの民族の2つの伝統的な展示も見ることができます。 |





キト市観光の見どころは、世界遺産第一号に登録された旧市街と、キト市郊外にある赤道碑です。
旧市街には、スペイン植民地時代の面影を残す教会や広場、コロニアル建築が並び、16世紀から続く歴史ある街並みが今も息づいています。
独立広場の西側に面する大統領官邸は、18世紀に子午線測量のためフランスから派遣された調査団の一員、カロンデレットによって建てられたことから、「カロンデレ宮殿(Palacio de Carondelet)」とも呼ばれています。
広場は旧市街の中心に位置し、1809年8月10日に行われたイベロアメリカ初の独立宣言の英雄達を称える記念碑が建てられています。
独立広場の南面に隣接しているキトで最初の大聖堂、メトロポリタン大聖堂は1562年から1565年に建てられ、キトの信仰と文化の中心になっています。当初はアドベと木で作られていましたが、後にゴシックムデハル様式と呼ばれる、より強固で重厚な建物になりました。
独立広場から2ブロックほど離れた場所にあり、ここで1809年8月10日にエクアドルの独立の調印が行われました。
この教会の建設は寄付を集めながら行われたため、完成には約163年も要しました。バロック様式の柱のある教会正面は、1722年に着工、 1765年に完成しました(43年間)。
この僧院は、寺院、礼拝堂、隣接する博物館からなる大規模な宗教建築で、1535年1月25日に着工し、1605年に完成した南米最古級の寺院です。敷地面積は約3.5ヘクタール(現在は約2.5ヘクタールとの説もあります)。
旧市街のどこからでも頂上に立つ「キトの母」像を見ることができる、キトを代表する展望スポットです。
キトから約22キロ北に離れた郊外に建つ記念碑で、”Mitad del Mundo(ミタ・デル・ムンド)”は「世界の真ん中」という意味です。
赤道記念碑から200mほど離れた場所にあるインティニャン博物館の館長の父ウンベルトベラはジャーナリストで教授で、1936年にサンアントニオデピチンチャに建設された赤道記念碑に、世界の真ん中、つまりエクアドルの国を示す赤道線を描く事を提案した人物です。